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ベトナム語について  Tiếng Việt Nam 

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ベトナムを訪れる日本人にとってベトナム語の表記にはちょっととまどってしまうのではないでしょうか。旧市街の商店の看板、交通標識、手にするパンフレットなど、アルファベットの上下にひげやら帽子やらにょろにょろやら、はてな?マークみたいな。事実、街を歩いていて目がくらくらするという人もいました。最近では日本語学習者も増え、優秀な旅行ガイドも出てきていますが、一般にはまだまだ英語さえ通じにくい状況です。しかし、生活ではもちろん、観光でも市場の買い物から道案内、ベトナム料理の注文まで全部ベトナム語です。ただし、一言で言えば、ネックは発音だけ。日本、朝鮮、ベトナムは中国のお隣にあって太古の昔から強い影響を受けてきましたから、それぞれの言葉も漢語的要素を共有しており、その意味では日本人にとってベトナム語は勉強しやすいと言えるでしょう。言うまでもなく、ベトナム語はベトナム社会主義共和国の公用語で、国内の9000万人以上に話されていますが、それだけでなく、隣国のカンボジアやラオスにもベトナム人が暮らしています。また歴史的に関係の深いフランスや南北統一後に移住していったアメリカを始め、カナダ、オーストラリアなどに数百万人がいますので、ざっと1億人近い人たちの言葉となっています。ベトナム語というと縁の薄いマイナーな言語の印象がありますが、決してそうではなく、世界に何百だか何千だかある言語の10指とはいかないものの、20指には入る一大言語と言えます。

ベトナムでは古代から長い間、公式には漢字・漢文を使っていました。しかし、中国語とベトナム語はもちろん違う言葉ですから、漢字・漢文では隔靴掻痒。そこで14世紀ごろに考え出されたのが漢字を改造してベトナム語を表記する字喃(チューノム)という文字です。これは例えば、数字の五を「南五」と書いて、左の部分(日本語で言えばナン)でナムという音を示し、右の部分で5の意味を表しています。「口内」なら左(口篇)が話すを意味し、右(日本語音読みのナイ)がノイという音を表します。多くの例をここに示すことはできませんが、字喃は音と意味の表示位置が上下左右てんでんばらばらで、字画も元の漢字よりはるかに複雑であったり、そもそも漢字の素養がなければ使えないことから単に支配層や学者たちの専用で、一般の人々は相変わらず文字とは無縁だったようです。17世紀中頃、ヨーロッパからのキリスト教宣教師たちが宣教のために工夫し、19世紀後半にフランスが乗り出してくると、植民地支配の目的で普及強化されたローマ字利用の文字が現在使われている正書法です。アジアでも北の朝鮮や南のタイ、カンボジア、ビルマなどでは漢字でもローマ字でもない、固有の文字を使っていますので、この点でもベトナム語はアルファベットに慣れている日本人に馴染みやすいです。もっともローマ字の上や下に、母音の区別やアクセントを示す独特の記号を多用しているので、まるで全部が発音記号のように見えるかもしれません。確かにローマ字のとおり読んでも、ベトナム人には全く通じないでしょう。

 

文法はやさしいです。日本語のように「てにをは」は使いません。五段活用だとか上一、下一もありません。また英語のgo, went, goneのような時制変化やI am, You areI take, She takesのような動詞の変化もありません。ベトナム語は主語、動詞、目的語の順に言葉を置くだけでいいのです。つまり、「私」「読む」「新聞」とか「あなた」「です」「日本人」などというわけです。そして語彙については上に書いたように漢語からの類推がかなり有効です。例えば「注意」はchú ý、「学生」はhọc sinh、「独立」はđộc lậpです。ただし、形容詞だけは日本語と違って、「かわいい子」を表すのに「子、かわいい」というように反対に言わなければなりません。

 

そんな中で、一番厄介なのが発音でしょう。こればかりは大方の外国人が苦労しているようです。「途方に暮れる」と言っても大げさではありません。何しろ母音の上げ下げが6通りにも変化して、意味が全く違ってしまいます。中国語の4通り、タイ語の5通りに比べても多いです。それも単純に上げたり下げたりだけでなく、一度下げたのを上げたり、喉を圧迫するような詰まった音を出したりするので、当のベトナム人も「質問する時の調子」だとか「転んだ調子」などと妙な名前をつけています。例えば、「マー」を高く平らに発音すれば「お化け」、低くて平らなら「しかし」、驚いたときの「ええっ!」のように中間の音から高い音に一気に上げれば「頬」、「あ~あ、やんなっちゃった」の「あ~あ」のように、いったん下げて、最後にちょっとしゃくり上げたのが「お墓」、おなかを机の角にぶつけた時の「うっ!」のように低く詰まらせて、その後急に高く開放させるのが「馬」、また「うっ!」とうなったままにしておけば「苗」という具合です。そしてこれをさらに複雑にしてるのが、地方差です。ベトナムは南北に1,700キロもある細長い国ですから、北部・中部・南部の差がかなり大きいです。特に中部の言葉は分かりにくいと言われています。しかし、そのように複雑だからこそ、ベトナム語は耳で聞くと、本当に美しい言葉です。ホアンキエム湖のほとりを歩いていて、青年なりお年寄りなりが伝統詩を朗読している場面にあわれたら、どうか足を止めてください。韻を踏み、独特の抑揚を伴った節回しに文字どおり聞き惚れてしまうでしょう。