スピーチ大会 ~短いスピーチ~

 

ベトナムの大学では毎年何回かスピーチ大会が行われています。日本語授業の一環としてクラスの中とか大学祭などで開かれるものがあるし、日本の大学や国際親善団体がベトナムの大学と共同で開催するものもあります。そこで、実際にベトナムの学生の皆さんが発表したスピーチを紹介したいです。今回は2分程度の短いスピーチです。どんな点に気をつけたらいいのかを考えてみましょう。下はスピーチの元になる作文です。これを声に出して読んでください。

 

                                                                                「道」                    NHNhật  

       村の端から端まで伸びていて、緑の柔らかい葉脈のように見えるもの、それは私の村の道だ。私が生まれた村の懐かしい風景の一つだ。道のそばには村人の家、並木、細い川、見わたす限りに開けた稲田などいろいろな田舎の景色が見える。町の道と違って、村の道は小さくても広い空間を感じさせる。

       毎朝この道はにぎやかになる。一番早く起きるのは市場へ野菜や果物や魚を売ったり買ったりしに行く人たちだ。やがて大勢の子供たちが歩いたり、自転車に乗ったりして学校へ通う。米の収穫の時、道はわらで覆われることが多い。また、毎年三月になると、道はお寺の祭りへ参拝する人でいっぱいだ。道の気配から村の平和な生活が分かるだろう。

       私が初めて自転車に乗ったのはこの道だった。私が初めて小学校へ行ったのもこの道だった。どんなに遠いところへ行くときでも、この小さい道から出発しなければならない。どんなに遠いところへ行っても、この道を忘れることはできない。

 

どうですか? 村の風景も、村人の生活も、作者のNhậtさん自身の思いも具体的です。「具体的」ということは、この作文を読んだ人や聞いた人が頭の中で絵が描ける(想像できる)ということです。そこから作者への共感が生まれます。そして、もう一つ大事なことは「いろいろ書かない」ことです。あれもこれも書かないで、皆さんに伝えたいことを一つに集中する。それが印象深い作文になります。

 

                                                     「そのシャツを見ると」                   NTTHiền

       そのシャツはもう着られません。しかし、タンスの中のそのシャツを見ると、いなかに住んでいた子供のころを思い出します。10歳になった時、母と父は町の会社で働かなければなりませんでした。私は中学校の試験準備のために、村の小学校で勉強を続けなければなりませんでしたから、両親といっしょに引っ越しませんでした。そのため伯父さんと住まなければなりません。両親が転勤する前に、母がこのシャツをくれました。                      これは一番好きなプレゼントです。両親が町へ引っ越していった後で、私は自分のことを自分でする習慣を身に付けなければなりませんでした。朝は早く起きて、洗濯をします。村の生活はとても楽しかったです。いい友達がたくさんいました。しかし、小学校まで村の道を歩いて行く時、時々両親を思い出しました。また、両親はお金を作るために町で一生懸命働いていると思った時や、特に友達の両親が学校まで迎えに来ているのを見て、悲しくなりました。しかし、母が買ってくれたそのシャツを見た時、私のそばに母と父がいると思いました。それは、上手に勉強ができる原動力だったかもしれません。中学校に入学した後で、私も町へ行きました。両親といっしょに住みました。でも、村の生活は忘れられないです。そこで、両親と友達と親戚はとても大切だと知ったからです。もらったプレゼントの中でこのシャツが最高です。

 

皆さんはこの作文にも共感できるのではないでしょうか。何と言っても「身近なトピック」です。皆さんも似た経験があるでしょう。そして、言葉が易しいです。スピーチは耳で聞いて理解します。文字はありません。ですから、「分かりやすい言葉」でゆっくりていねいに話すことが大事です。

 

以上をまとめると次のとおりです。皆さんもぜひ挑戦してみませんか。

具体的な内容

大事なことを一つだけ

身近なトピック

分かりやすい言葉  

 

 

スピーチ大会 ~スピーチの要点~

 

ベトナムで行われるスピーチ大会では普通、制限時間が5分です。この制限の中で、まずは下の要点ABを考えながら原稿を作ります。5分で発表するためには原稿は1,100字から1,200字ぐらいが適当です。

 

A)内容 

・聴衆の関心を引くタイトル、 具体的に

・自分の小さな、具体的な、独自の経験を通して見た社会的問題

・楽しい話、悲しい話、笑わせる話、成功よりも失敗話

・明確なメッセージ、論理性

・会話、実例、たとえ話、ことわざ、数字、キーワード

     ➭ スピーチが生き生き ➭ 聴衆との交流

B)日本語の文章

・内容のまとまりごとに段落をつける。

・主語、述語を明確に書く。重い修飾語は使わない。

・文章は短く。適切な接続詞でつなげる。

 

次に、できたスピーチを実際に声に出し、ボディランゲージを有効に使って、発表練習をしましょう。要点は次のとおりです。

 

C)日本語の発音・アクセント

・ベトナム人特有のくせに注意する。

    長音・単音の区別、アクセント高低の型

D)プレゼンテーション ➭ 聴衆との交流

・ポーズを置いて、聴衆に考えさせる。

・ボディランゲージ、アクションなどの視覚的効果

・顔、目線を左右に ➭ 聴衆へのメッセージ

・舞台を大きく使う。歩いてもいい。

・映える衣装を考える。特に上着に注意する。パンツ、スカートは講壇に隠れて見えない。

 

発音・アクセント、プレゼンテーションの練習は友達に見てもらったり、先生の指導を受けたりしながら行いましょう。 

 

 

スピーチ大会 ~スピーチの例~

 

実際にスピーチ大会でよい成績を収めたスピーチを紹介します。スピーチの中の【序論】や【本論】などは構成を分かりやすくするために、T先生が書き加えたものです。

 

「川は泣いている」             TTVân

【序論】

美しかった一本の川が、今は下水のあふれる黒い川になってしまいました。トーリック川です。私が生まれたのはハノイではありませんが、勉強のため、もう5年もハノイに住んでいます。皆さんと同じように、私もハノイが大好きです。ですから、少しずつハノイの良さが失われていくのを見ると、悲しい気持ちになります。中でも、哀れなトーリック川を見る時です。昔のトーリック川はホン河から分かれて市内に入り、旧市街を抜けて、ニュエ川と一緒になり、流れ流れて太平洋に注いでいました。川岸には青々とした並木が繁っていました。多くの船が行き交っていました。そして大小の魚たちが泳いでいたのです。トーリック川はただ景色が美しいだけではありません。タンロンの古城を初め、多くの寺院やその寺院を包む村々など歴史的な意味も大きいのです。トーリック川こそハノイ人が歴史を守ってきたことの証人です。

【問題提起 本論への導入】

しかし、今、昔の美しい川の思い出は、お年寄りの心に残っているだけです。ホン河から生活や産業に必要な水を取り入れる一方、使い終わった汚い水をトーリック川に流し込んでいます。その量は一日に20万立方メートルにも上るそうです。また、ごみを容赦なく投げ込んでいます。今ではトーリックと言えば、ごみと答えるほどみっともない有様になってしまいました。川の色香は、死の川の腐い臭いに取って代わられました。近隣の住民は窓を開けることができません。お年寄りや子供たちの中には、呼吸器病の人も少なくありません。

【本論 1

ここまでお話してきたことは、誰でも知っているトーリック川の現状ですが、川を守ろうという人はまだ少ないです。しかし、政府は見過ごしているわけではありません。川の清掃や設備の整備のため、多額のお金を投じ、市民運動に補助を与えています。

イギリスやフランスでは、都市がどれほど発展しても、それに応じて自然を保護しています。ロンドン市民はテームズ川を、またパリ市民はセーヌ川を心から誇りに思っています。私たちハノイ市民はどうでしょう。トーリック川を誇りにできるでしょうか。

【本論 2

ところで、私はまだ学生ですから、お金や権力や経験がありません。たとえあっても、個人の力は小さいです。ですから、トーリック川の環境改善には、ハノイ市や政府の役割が大きいです。一番目、かつてのようにホン河とトーリック川を結ばなければなりません。澱んで死んだ川を生き返らせるのです。二番目、下水設備をトーリック川と切り離さなければなりません。三番目、トーリック川からごみをさらいます。四番目、川岸に作られた非合法の住居や駐車場を移転させます。五番目、違反した場合の罰則を定めます。最後に最も重要なこととして、市民や企業の環境意識を高める運動を推進しなければなりません。

【本論 3

さて、まだ学生だと言っても、私自身にもできることがいくつかあります。一番目、私は川岸のごみを拾います。ごみ拾いの市民運動に参加します。二番目、環境保護の意識を高める市民運動に参加します。三番目、仲間とともにハノイ市や政府に「トーリック川を守ろう」と訴えます。

【結論】 

誰かが声を上げ、誰かが行動を起こさなければ、何も始まりません。トーリック川は泣いています。皆さん、ぜひ私と一緒に笑顔のトーリック川を見たいと思いませんか。

 

 

スピーチ大会 ~スピーチの例~

 

                                         「さよなら」は言わないで          PTHuyền

【序論】

私が五歳の時、幼稚園の私の大好きな仲良しの友達が急に入院してしまいました。母と病院へお見舞いに行って、彼女に会って、楽しくずっとおしゃべりしましたが、彼女は何も話をすることができませんでした。帰る前に彼女と私は手を振りながら笑顔で「さよ なら」と言い合いました。一週間後、彼女はこの世を去ってしまいました。病院での「さよなら」が、彼女からの最後の言葉でした。

【本論への導入】

それから、十一歳の時、隣に住んでいた仲の良かった友人がホーチミン市に引越ししてしまいました。その時、もう一度「さよなら」を最後の言葉として聞きました。それ以来「さよなら」と言う言葉が私は大嫌いになりました。その言葉を聞いたら、私の心の中に昔の友達との思い出が浮かんでくるし、また友人と会えない気持ちになります。ベトナム語で「さよなら」は別れるとき言う普通の言葉です。でも、私にとって、その言葉はとても恐ろしく、いつも心が刺されるような不思議な力をもっています。友達に相談したら、「みんなは「さよなら」と言わなかったらいいんだよね。」と言いますが、でもそれは無理かなと思います。

【本論 1

しかし、あることが起きて、私の考えは変わりました。高校2年生の夏休み、日本人の友達がベトナムに来て、私のうちにホームステイしました。毎日、私たちは一緒に色々なところへ行ったり、ご飯を食べたりしました。彼女とは、家族のように仲良くなりました。ただし、彼女は3カ月後、日本へ帰らなければなりませんでした。私はまた、「さよなら」を言わなければならないと考えていました。でも、彼女は別れの時「フエンちゃん、では、またね」と言いました。本当に驚いて、「へえ、「さよなら」ではなくて、「またね」という言い方も日本語にはあるとわかりました」。別れぎわに、私はにこにこして 「うん、またね」と言い返しました。そのときから「またね」という言葉が好きになりま した。

【本論 2

日本語を勉強する人には「またね」を知らない人がいないのではないでしょうか。「またね」は「また会おうね」の略語で、日本では、帰るときによく使われている言葉です。その言葉は別れても、全然悲しくなくて、未来が期待できると感じます。「またね」と言えば、また会えるだろう。この友情はきっと続けられるだろうと私は思います。この簡単な言葉は、希望を作り、昔の友達との悲しい記憶を懐柔してくれました。そして、「またね」に私は強い確信を感じます。「またね」と言うとき、その言葉は、また会える日が来るという気持ちになり、気力が強くなります。今日は終わりますが、明日は来ます。そしていつの日か、会える日はまた来ます。もし、子供のときの、友人と「さよなら」を言った時に戻れたら、「さよなら」ではなく、「またね」と言います。

【結 

今日初めて会う人もいるし、一度も話さない人もいます。たぶん二度と会わない人もいます。それでも、私はみんなに「さよなら」と言う言葉は言いたくないです。ですから、「皆さん、またね!」。

 

最後に、歴史的に有名な二人のスピーチをお知らせします。二つとも素晴らしいスピーチで、長く人々の記憶に残っています。また、日本の大学でも英語の授業などで取り入れられています。きっとベトナム語の翻訳もあると思いますから、探してください。スピーチの内容はもちろん、「高い・低い/速い・ゆっくり/強い・弱い」の調子やbody languageを学んでください。 

Martin Luther King牧師: 私には夢がある

John F. Kennedy大統領: 就任演説