ロンビエン橋

 

東京の北に荒川が流れ、例えば荒川区と足立区を隔てています。同じような位置関係でハノイの北にホアンキエム区とロンビエン区を隔てるソンホン(Song Hong 紅河)が流れています。このソンホンは中国雲南省に源を発し、南東方向に1200キロも流れて太平洋に注ぐ大河ですが、この河こそベトナム北部に一大デルタを広げ、政治、経済、文化の中心、ハノイの形成と発展の原動力となった河です。

近年の経済発展に伴って、ソンホンを跨ぎ、ハノイと北部地方を結ぶいくつかの大規模橋梁が完成しましたが、ロンビエン橋は今から100年以上も前のフランス植民地時代に建設された最も古いもので、長さ1700メートル。特に港湾都市ハイフォンとを結ぶ交通の要所となっています。アメリカとの戦争では軍事目標として何度も空爆の対象となりながら、破壊されるたびに修復して使ってきました。このため、ベトナム人の抗米救国の象徴ともなっています。ロンビエン橋はパリのエッフェル塔を設計したギュスタフ・エッフェルの設計によるとの説もあります。近くから橋を見上げれば、三角形に鉄骨を組み合わせた構造の力強さを感じますが、遠くから眺めるとエッフェル塔を横に寝かせたような優雅な姿にも見えます。現在、単線の鉄道レールが中央を走り、その両側をバイク、自転車、歩行者が通行できます。自動車、バス等は数百メートル川下に並行して走るチュオンズオン橋を通らなければなりません。

さて、私たちは8月のある日、このロンビエン橋を歩いて渡りました。暑さを避け、陽射しの傾き始めた夕方4時半、ホアンキエム側のロンビエン駅を出発。橋の起点は目の前です。ちょうど帰宅時のラッシュが始まったところ。バイクがびゅんびゅん走っていきます。歩道は横70センチ、縦30センチほどの薄いコンクリート板が欄干側に敷き並べられているというか、単に置かれているだけのようなもの。板と板の間に空間があって、下が見える。歩いていて何となく体の重みで折れちゃうんじゃないかと心細い。万一折れれば、真下の道路なり、河の上へずどんと落ちてしまう。私は右手で欄干につかまるような、触るような感じでそろそろ進みます。コンクリート板の真ん中を踏まないように、バイク路側に寄って歩きます。上っ張りの裾がひらひら舞って、前から来るバイクにひっかけられやしないかとそれもひやひや。さすがに100年の雨風に耐えてきただけあって、むき出しの鉄骨は赤錆で実に枯れた色合い。細い鉄製の欄干は穴が開いていたり、曲がっていたり。それを細い針金で補修してあって、半ばボロボロ。往来するバイクの重みでさえ橋がガタガタユラユラ小刻みに震えます。

そんな中でちょっとほほえましいのが恋人同士と思われる落書き。(落書きをほほえましいと言うのが適切かどうか?)「Hen gap lai! きっと会いましょう!」とか「Anh yeu em! 君が好き!」とか、もっとはっきり「Hung Trang! フン・ラブ・チャン!」とか。ご丁寧に20〇〇年〇月〇日と比較的新しい日付まで書かれているものもある。更には愛の南京錠というんでしょうか、そんなものもぐらぐらの欄干に掛けられている。

と、向こうから列車がやってくる。ベトナム鉄道、ハイフォンからの10両編成。青と赤の古ぼけた車体。時速30キロも出しているのでしょうか、橋をいたわるようにそろそろしずしず、ゆっくりゆっくり。後尾の車掌さんに手を振ると、にこやかに振り返してくれました。4時半にロンビエン駅を出発し、ちょうど1時間後、おっかなびっくりのロンビエン橋を渡り終え、向こう側にたどり着いたのでした。