儒教

 

儒教は中国侵略軍とともにベトナムに入ってきましたが、後には歴代の王朝により支配的な教理とされました。儒教は人の日常の行いを制する倫理思想です。

 

孔子(紀元前551年~479年)は魯国(現在の山東省)の曲阜に生まれました。当時は新興国家が覇権を競う戦国時代のさ中で、多くの哲学流派が生まれましたが、儒教はその最初のものです。

 

儒教思想は孔子の時代には影響力はなく、漢の時代(紀元前206年~紀元後221年)になってようやく皇帝に認められるようになったのです。前の秦朝における立法主義はその過激な思想により退けられ、力による支配よりも徳を重んじる儒教が次第に優勢になりました。

 

宋代(960年~1127年)になると、仏教、道教、儒教を結合した「新儒教」が国の価値体系となり、儒教の絶頂期に達しました。 

 

儒教思想は、天命により国王が権力を把握するという既存の政治体系に挑むものではなく、社会的、道徳的な行いを重視します。その本質は保守的な思想で、徳を育むものとして教育の重要性を強調し、国家が法ではなく徳によって支配することを可能にしています。

 

 

孔子は弟子たちを教育しながら晩年を過ごしました。また、その塾はだれにでも開かれていました。孔子が教育を重視したことは東アジア社会に深い影響を与え、政府行政官の選出過程にも影響を及ぼしました。漢は官吏の登用に科挙制度を適用した最初の王朝です。科挙は代々の王朝にわたって改革され、唐の時代(589年~907年)には中国、ベトナム、朝鮮での標準となりました。

 

儒教は宗教ではありませんが、いくつかの宗教と重なる要素もあります。儒教の規範はキリスト教における聖書の場合と同じく崇敬の対象となっています。孔子の弟子たちが著した四書はキリストの弟子たちによる新約聖書と同様です。しかし、儒教は主に現実社会との関わりが大きいです。 

 

ベトナムでは長く儒教思想が続いてきましたが、フランスの侵略と同時に持ち込まれた西洋思想との衝突によって、ベトナムの多くの学者は儒教とベトナム社会との関連性に疑問を持つようになりました。