紹介

 

ホアンキエム(還剣)湖とその周辺はハノイの地理的中心であるだけでなく、市民の魂そのものです。多くの人々にとってこの湖へ行かなければ一日が終わらないようです。季節が移り変わるころは特にその趣を深くします。この湖で、もし巨大な亀が水面に頭を出している姿をちらっとでも見かけることができたら、幸運この上ないことです。湖の周りを散策してみれば、ハノイの昔と今、そしてこれからの姿さえ見ることができます。本書に書かれている寺社や建造物の中には今や湖からやや遠くなってしまったものもありますが、それも載せることにしました。1886年以前のホアンキエム湖は大変大きく、例えば西の方はハンチョン通りあたりまで広がっていました。ホアンキエム湖はかつてルックトゥイ(緑水)と呼ばれていました。湖を取り巻くエリアは親しみを込めてボーホー(湖岸)とも言われています。

ハノイは1000年の都です。西暦1010年、リ(李)朝初代のリ・タイ・ト(李太祖)王がここを都と定めましたが、王がホン(紅)河を舟で遡っていった時、一匹の龍が空に昇るのを見たことから、この地をタンロン(昇龍)と名づけました。都の発展と共に王城が行政の中心となりました。しかし、人々にとってホアンキエム湖近くの、今は旧市街と呼ばれている地域が生活と仕事の場でした。ここには様々な手工業者が仕事場を設け、役人や金持ちばかりでなく、職人や貧乏人にも必要な物資を供給していました。湖はトーリック(蘇瀝)川とつながっていましたが、この川はホン河に合流し、小舟が町の中まで入ることができたのです。水上交通が盛んで、周辺の寺社とは舟で行き来しました。湖は今日のように明確な形ではなく、湖沼地帯の村々が小道や木の橋で結ばれていました。湖は肥沃で、魚が豊富に獲れました。また、米、果物、野菜などもたくさん収穫できました。昔は人々の生活は湖の中にありましたが、今ではその周辺へと広がっています。

19世紀、グエン(阮)朝の一時期、ハノイからフエへ遷都しましたが、同世紀末には再びハノイへ戻ってきました。都でなかった時期でもハノイは重要な町で、バオアン(報恩)寺やゴクサン(玉山)祠が建てられたのもそのころです。バオアン寺はもうありませんが、ゴクサン祠は今でも最も多くの観光客が訪れる場所の一つです。フランス植民地時代の65年間、ハノイはトンキン地方の首都であると同時にトンキン、アンナン、コーチシナ、ラオス、カンボジアを合わせたフランス領インドシナ全体の首都でもあり、東洋のパリと呼ばれていました。1886年以降、湖の周辺は埋立てられ、水路はふさがれてしまいました。建造物は徹底的につぶされ、今日見られるような並木通りに造り変えられました。そして、スレート葺きの屋根やシャッター付きの窓のある堂々とした行政官庁が建ち並ぶところとなったのです。

リ・タイ・ト(李太祖)王にちなんで名づけられた公園には東の方から湖を眺める王の銅像が立っています。ベトナムとハノイの歴史上、重要な役割を果たした人物を湖の周りの寺社で見ることができますが、その人たちについても本書で紹介します。しかし、中でも特に重要な人物は1428年にレ(黎)朝の創始者となったレ・タイ・ト(黎太祖)王のレロイ(黎利)です。湖がホアンキエム湖、即ち還剣湖と呼ばれるようになったのは、実にこの王にまつわる伝説によるのです。その小さな銅像は西側の高い柱の上から湖を見ています。

今日のホアンキエム湖 

ハノイに来るベトナム人や外国人の多くがホアンキエム湖を囲むエリアを訪れます。喧噪の都会にありながら、絵のようなオアシスとして、ここは散歩に、運動に、また友人たちとおしゃべりをしながらひと時をゆっくり過ごすのに最適です。同時に、ハノイ人にとってビジネス上の、また文化的、社会的、宗教的な行事を催す場合のキー・エリアと言えます。たとえ真冬の早朝でも大きな扇子を広げて太極拳を練習している市民の姿が見られます。また、ジョギングや散歩をしている人もいます。故ホー・チ・ミン主席は心身の健康にとって運動がいかに大切さであるかを強調しました。中にはベトナム人に交じって運動をしている外国人もいます。

夕方ともなると将棋を楽しむ人や肩を寄せ合う恋人たちがいます。お茶をすすりながらおしゃべりする老人たちや内外の観光客もいます。アメリカとの戦争中、ハノイは爆撃を受けましたが、市民たちは地下壕を掘って、安全に避難することができました。昼間、湖底に溜まった銅の堆積物によって緑色に見える湖面は草の上に影を落とす木々と入り混じり、美しい風景を作り上げています。日が落ちると、亀の塔に点された灯が周辺のビルの光と一緒になって湖は幻想的な表情を見せます。やがてホアンキエム湖を取り巻く歩道に人通りが絶え、静けさを取り戻すのは深夜になってからです。

 

信仰の場所 

本書では湖周辺の礼拝や崇敬の対象となっている場所についても紹介します。ベトナムにおいて宗教は単純ではありません。ベトナム人の多くが自分は仏教徒であると言いますが、道徳や学問を強調する儒教もたいへん重要です。道教は宇宙と人間の存在を説いていますが、一方で祖先崇拝もまた家庭生活での大切な役割を担っており、たいていの家には祖先へのお供えをする祭壇が祀られています。ベトナムは農業国であることから、特に田舎では精霊信仰が行われています。また、地母神崇拝は受胎や出産といった重要な節目における女性の神性を認めています。

ベトナムにおける礼拝の場所はこのような宗教的な諸要素を反映しています。例えば、デン(den) 即ち祠は国または地方の聖人英傑を祀るところです。また、ディン(dinh) 即ち亭は村の守護神を祀ると同時に集会所としての機能もあります。一方、チュア(chua) と呼ばれる寺には仏像が安置してあり、これを礼拝するとともに僧坊が設けられている場合もあります。更に、敷地内には地母神と並んで道教の祭壇や亡くなった僧侶、英雄、学者、祖先の像や写真が置かれることも多いです。ベトナムの祠、亭は日本と様式や趣が異なりますが、本書ではベトナム式に従っています。仏教はインドやスリランカからの僧侶によって布教され、海岸域から内陸までベトナム全土で広く信仰されています。ベトナム北部では、菩薩の慈悲と悟りへの可能性を信じる大乗仏教が盛んです。全身全霊を尽くして修行を行い、苦悩からの解脱に達した者は菩薩と呼ばれます。ホアンキエム湖の周囲には祠も亭も寺もあります。本書にこのような信仰の場について記載がある時は、宗教の多様な側面について読み取ってください。