年表

  

文廟の創設日などの日付の正確性が論議されていますが、この年表によって主な出来事とその変遷について、おおよそのご理解がいただけると思います。

1070 リ・タイン・トン(李聖宗)王が孔子と周公 

            を祀る祭壇をハノイに建立。これをもって

            文廟創設の日とされる。

1076 リ・ニャン・トン(李仁宗)王が国子監を

            建立。初めは王子のためであったが、後に

            高級官僚の子弟にも開放された。

1156 文廟創設はこの年ともいわれる。

1185 入学年齢を15歳以上と定めた。上限はなし。

1214 後期リ(李)朝の終了

1225 チン(陳)朝の開始

1304 グエン・チュン・ガン(阮忠彦)が16歳で

            合格。

1374 合格者に服を与えることとした。

1396 一次試験がハノイ以外の地方でも実施されるようになった。合格者は学士(挙人)と称された。

1400 チン朝の終了

1407 1427 中国明軍が占領地の寺院を破壊。孔子を

            祀っているため、文廟だけは破壊を免れた。

1428 後期レ(黎)朝の開始。国王は各地に学校を

            建て、優秀な学生を選抜し、ハノイで勉学させ

            た。理屈上では、成績によって官吏への道が

            すべての男子に開放された。

1483 復旧工事

1484 博士合格者に対する最初の石碑が建立された。

1511 大規模復旧工事を実施。厨房、祭器保管庫、国

            王の部屋などを追加。

1538 修復工事

1662 追加工事

18世紀 石碑保存のため二層のお堂8棟を建立。

1762 修復工事

1780 石碑庭の8棟が破壊され、石碑が散乱。歴史家によってタイ・ソン(西山)党による又は権力者

            チン・カイ(鄭楷)によるとしている。

1786 1802 タイ・ソン朝 

1788 レ朝の終了。

1802 グエン(阮)朝の開始。フエへの遷都と共に

            王立大学も移転。国子監は孔子の両親を祀る寺

            となった。ハノイでも地方大学は存続した。

19世紀初頭 既存の三つの庭に二つの庭が追加され、

            ハノイ城再建により使われなくなった煉瓦で

            壁を作った。

1805 クエ・バン・カク(奎文閣)の建立。

1858 フランス植民の開始。

1906 11月、フランスのインドシナ総督が文廟-国子

            監を史跡と宣言。

1915 最後の地方試験がハノイで行われた。

1919 最後の殿試(国王臨席による試験)がフエで行われた。

1947 事故によるフランス軍の砲撃でカイ・タイン(啓聖)と呼ばれた孔子両親の寺と賢人庭が破壊された。

1954 フランスからの独立

1960年代 石碑を倉庫に保管。その他を展示室に置いた。戦争中は米軍の爆撃を避けるため、コンクリート壁

            で囲み、砂中に埋めて石で覆った。

1975 平和と統一

1988 ドイモイ政策により石碑を再公開。文廟-国子監文化研究センターを設立。

1992 池の修復

1993 石碑保存のため8棟のお堂を建立。 

2002 太学堂の復旧