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 エリア3  Khu 3 

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17)ハンマー(紙の冥器)通り  Hàng Mã 

ハンマー通りは中世以降、ハノイの典型的な商業区域で、昔ながらの祭日などは賑やかな音や色や光に包まれます。ハンドゥオン通りとの交差点からフンフン通りまで、339メートルの通りはトーリック川によって二分されていましたが、今では川は埋立てられています。ハンマー通りでは紙製の提灯、飾り物、色紙やカードなどを扱っています。通り全体がとてもカラフルで、内外の旅行者に人気の場所となっています。昔ながらの冥器も売られていますが、これはお札や偽の紙幣の類で、亡くなった人があの世でも困らないようにとお葬式や法事などに燃やすものです。

 

18)ローゼン(鍛冶屋)通り  Lò Rèn 

ローゼン通りは長さわずか130メートルの小さな通りで、伝統工法により手作りの炉で鉄製の農具や家具を作っていました。通りの1番地に亭を持ち、先祖を祀っています。20世紀にはいるとフランスは多くの住宅や鉄道や鉄橋を作りました。その材料はフランスからの輸入品もありましたが、螺子、釘、蝶番、鉄扉等はハノイで作られました。新しい鉄製品はベトナムの伝統的な鉄製品と区別して「西洋鉄」と呼ばれました。ローゼン通りでは伝統的なものと近代的なものとの両方が作られています

 

19)ランオン(懶翁)通り  Lãn Ông 

ここは15世紀から16世紀にかけて中国福建省から移ってきた中国人が住んでいたため、もとは福建通りと呼ばれていました。彼らは中国人街を形成し、42番地には福建会館があります。元々は銅や錫の製品を扱っていましたが、19世紀初めに漢方薬を売るようになりました。この通りはベトナム伝統医の始祖、レ・ヒゥウ・チャック(黎有)、筆名ハイ・トゥオン・ランオン(海上懶翁)にちなんで名づけられたものです。このランオンには「怠け者のお爺さん」の意味があります。というのも、当時、優秀な人は科挙の試験を受けて高級官吏になるのが普通でしたが、ランオンは敢えてそれを選ばず、試験を受けなかったので「怠け者」と自称したのです。ランオンはベトナム医術に重要な貢献をした人で、305種の薬と2800種以上の処方を発見しました。その業績は2866冊の本に記されています。ランオン通りには漢方薬の店が多く、商品は紙やビニールの袋に詰められ、地面に山積みになっていたり、軒先にぶら下がっています。今でも精密なはかりではなく、大きな包みを計れるよう、上皿天秤を使っています。

この伝統的な職業は世代から世代へと受け継がれてきました。かつては、何波にもわたって移住してきた中国人が伝統医薬品を売っていましたが、次第に各地からのベトナム人が集まってきました。今日、その子孫が先祖の商売を受け継いでいます。彼らは医薬の教育を受けてはいませんが、家族の秘伝に基づいて商いをしています。店を経営しているのは殆どが女性です。ランオン通りを歩けば、漢方薬の一風変わった香りを嗅ぐことができます。患者を診察するために、伝統医あるいは薬剤師はたいてい患者の脈を診て、様子を観察してから薬草を処方し、煎じます。または、粉末の薬草を錠剤にして与えることもあります。ベトナム人は中国の薬草を「北の薬草」と呼び、ベトナムの伝統薬を「南の薬草」と呼んで区別しています。北の薬草はたいてい乾燥させ、他の原料と混ぜて使いますが、朝鮮ニンジンのように生のものもあります。

 

20)ハンルオック(櫛)通り  Hàng Lược 

かつてここでは櫛が売られていましたが、今では年末の花市が立つところとして有名です。ただし、陰暦1223日から大晦日までしか開かれていません。その点は非常にユニークです。普段は23の花店が立っているだけですが、暮れになるとたいへん賑わってきます。金柑や桃の鉢植えがホータイ(西湖)そばのクアンバー村、ニャッタン村、ギタム村から運び込まれます。たくさんの小さな実がなる金柑は子宝の象徴ですし、桃の花は魔除けと考えられています。そして最近ではダラットやホーチミン市などの遠隔地からも様々な花が入荷します。テト(旧正月)前の花市はハノイの伝統となっており、多くの観光客を集めています。市民はどんなに忙しくてもテト前には必ずここを訪れます。それは新春を迎える準備のためだけでなく、友達と会うためでもあり、市民の習慣となっています。

ハンルオック通り12番地にはハノイで唯一のモスク「アルヌール・マスジッド」があります。イスラム教徒の祈りの場ですが、許可を得れば中を見せてくれます。内部は小さいですが礼拝堂や図書室があります。周囲は賑やかで、時に騒々しいですが、モスク内は静寂な雰囲気です。19世紀初めからインド商人が定住しはじめ、次第に綿、絹、宝石などを扱う市場で衣類を売ったり両替を営むようになりました。彼らは中国商人からこれらを買って、インドやシンガポールに売っていました。裕福な彼らがここにモスクを建てたのです。今ではマレーシア、インドネシア、インド、パキスタン、イラク、エジプト、アルジェリアなどの大使館員が礼拝に訪れますが、もちろんベトナム人のイスラム教徒もいます。

 

テト(旧正月) Tết 

テトはベトナムの正月です。陰暦を使いますから年によって日が変わりますが、だいたい1月末から2月中ごろがその時期です。ベトナム人にとってテトは一年で最も大切な祝日。地方から都会へ出ている人は地方へ、都会から地方へ行っている人は都会へ、それぞれふるさとへ帰り、一家そろって新年を祝います。テトにはお客様がたくさん見えますから、家を掃除し、料理を用意し、花を飾ります。菊、バラ、百合、桃などの花だけでなく、たくさん実がなって子宝の象徴とされる金柑の鉢植えを並べます。通りにはずらっと国旗が掲げられます。大晦日は家族全員が除夜を過ごします。ベトナムではその年の最初の訪問者が家族の一年の運を決めると信じられています。そこで、家の主人は最初に招き入れる人を予め決めておきます。例えば、トリ年生まれの人はウシ年の人と相性がいいなど、干支の組み合わせで人選します。深夜12時を過ぎた時、その人が新しい木の芽を持って家に入ります。その後、祖先を礼拝し、みんなでお酒を飲んだり、正月料理を食べたりして祝います。元旦から三日までは親族や近所を訪問し、社寺に初詣をします。しかし、最近では特に若者たちはバイクに乗ってハノイ市内の何か所かで打ち上げられる花火を見に行く人も多いです。

 

21)ハンドン(銅)通り  Hàng Đồng

ハンドン通りは、ハンズオイ通りとバットスー通りの間の約130メートルで、南北に走っています。フンイエン省カウノム村からの移住者の街です。彼らは伝統的な銅職人としてやってきました。かつてはフランス人によってハンチェン(茶碗)通りと一緒にされましたが、1945年の8月革命以降、元のとおり二つの街に分けられました。ハンドン通りは多くの商店が建ち並び、銅製のお盆、急須、香炉、花瓶、動物や鶴の置物を売っていました。また、それらの工場も多かったです。ここはハノイ市民のためにただ一か所、銅製品を扱っていましたから。ベトナム人や外国人のお土産としても作られ、市場で最も人気のある商品でした。しかし、伝統工芸品は次第に消えていき、人々は他の場所で作られた銅製品を売るようになりました。銅作りに長年携わってきたわずか数家族だけが今もその技術を保持しています。伝統的な鋳造方法は、まず銅の原石を溶かして不純物を取り除きます。その後、亜鉛、鉛などを加えた合金を型に入れて様々な形に仕上げるのです。現在では手すり、看板、ドアなどの鉄製品も作っています。更に台湾や中国からの陶器を売る店もあります。