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 エリア2  Khu 2 

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10)ハンブオム(帆)通り  Hàng Buồm 

ここは旧市街を流れる川がソンホン(紅河)に流れ込んでいた場所で、かつては船着き場があり、船の帆を作る布を売っていました。また、ここには広東出身の華僑が多く住んでいたため、飲食店も多かったです。しかし、その川が埋め立てられ、船が入れなくなると、布は売れなくなり、輸入品や食料品の売買へと変わっていきました。今日では菓子や酒類を扱う店やミニホテルがあります。この通りの名前からも湖や川や沼に囲まれたかつての美しい風景が想像されます。

 

11)バックマー(白馬)祠  Đền Bạch Mã 

バックマー寺はハンブオム通り76番地にあります。言い伝えによると、ハノイ東部の守護神であるロンドー(龍肚)を祀るため、9世紀に建てられました。1010年、リ・コン・ウアン(李公蘊、後の李太祖)王がホアルー(華閭、ニンビン省)からタンロンへ遷都した時に何度も王城を築こうとしましたが、その都度失敗しました。王はロンドー神に祈ったところ、ある朝、ロンドー寺の方から白馬が現れました。白馬は王城の敷地のまわりを足跡をつけながら回り、寺へと帰っていきました。王がその足跡の内側に王城を築いたところ、今度はしっかり建ったということです。

バックマー祠はハンブオム通りからガック通りまで伸びる細長く、大きな祠です。ハノイ第一級の建築遺産としてその歴史は1000年にも及びます。玄関の次に、前部・中央・後部の拝堂を持ち、更に聖域があります。また、石碑、王の証書、籠、馬や鶴や人物の像など多くの貴重な遺跡が残されています。バックマー祠はハノイの様々な側面を知る貴重な拠り所となっています。

 

12)クアンデー(関帝)祠  Đền Quan Đế 

ハンブオム通り28番地にあり、クアンコン(関公)将軍が祀られています。18世紀に建立され、ベトナム芸術の最高峰の一つと考えられています。持ち主はハノイに住む中国人でしたが、卓越したベトナム人職人の作品です。祠堂は丸みを帯びた美しい建築で、面積は275㎡。玄関、前部と中央に拝堂があって、後部は聖域です。2009年、建設当初の設計に従って再建されました。現在、旧市街の情報センターの一つとなっていて、専門家や職人たちが市民や旅行者に会ってくれます。

 

13)クワンチュオン(光掌)門  Ô Quang Chưởng 

ここはタンロン王城下に残る21の門の一つです。ザロン(壽隆)帝の時代の1817年に現在の建築様式に改築されました。ソンホン(紅河)に近いこれらの門はタンロン城を洪水から守る役割も担っていました。この門は、中央の扉とその脇に二つの小さな扉が元の姿のまま残っています。中央の扉には1882年の石板がはめられ、番兵が門を通過する一般人を苦しめることがないようにとの勅命が書かれています。扉の上には「東河門」の三文字が彫られていますが、東河とは当時のその地区の名前です。

クワンチュオン門の名前については、いくつかの解釈があります。

1. ここに土地を持っていたレ(黎)朝末期の大臣に因むという説。

2. グエン(阮)朝にこの門を厳しく取締まったある軍人に因むという説。

3. 1873年フランス軍がハノイを最初に侵略した時、クワンチュオンという名前の軍人がここで倒れたという説。

4. クワンチュオンという名前の慈善家がここに住み、多くの人に施しを与えたのでその名を残したという説。 

しかし、そのいずれも明らかではありません。

 

14)ドンスアン市場  Chợ Đông Xuân 

ドンスアン市場は、19世紀末にそれまでのカウドン市場とバックマー市場を統合して生まれたものです。ここは単に商売の場としてだけではなく、ハノイ市民にとっての文化的、精神的な意味をも持っていました。ドンスアン市場は、1889年にフランスがトーリック川を埋め立てる際に二つの市場を壊して改設したものです。元々はドンスアン地区と呼ばれていたところで、藁屋根作り、周りは竹垣で囲まれていました。1890年、フランスは新しいドンスアン市場を建てました。5か所にアーチの門を設け、縦横52メートル、高さ19メートルもの大きなホールがありました。フランス建築様式を取り入れ、正面は三角形で、ホールは蜂の巣構造をしていました。ドンスアン市場はかつて「ハノイの胃袋」と呼ばれ、全国から特産品が集められました。ドンスアン市場は街道にも川にも鉄道にも近かかったため急速に発展しました。

194612月、全国抵抗運動が起きると、ドンスアン市場は敵の進軍を阻む戦場となりました。1947214日、ベトナム人民軍はフランス軍に対し、激烈な戦闘を繰り広げました。人民軍がハノイから撤退するまでの間、多くの兵士が倒れました。2005年、タンロン・ハノイの建都955年記念の際、首都防衛のために犠牲となった人たちを記念して、市場の近くに「ハノイ1946年の冬」の銅像がハノイ市によって建てられました。1994年の火事でドンスアン市場の殆どが焼失してしまいましたが、後に再建され、今日私たちが目にする姿となっています。面積は14,000㎡以上、およそ2,000もの売り場を持ち、北部最大の商業センターとなっています。ただ、再建はされたものの管理が厳しくなって、以前のような活気がなくなったと嘆く人もいます。毎週金曜日、土曜日、日曜日の午後7時から、ハンダオ通りからドンスアン通りにかけて夜市が開かれます。その間、ここは歩行者天国となり、ホアンキエム湖からドンスアン市場まで車は入れません。土産物などが手ごろな値段で買えますし、民謡や踊りなど、いろいろな催しが開かれます。今やハノイ市民だけでなく、多くの外国人が訪れます。

 

15)ハンドゥオン(砂糖)通り  Hàng Đường 

長さ約180mのこの通りは18世紀末ごろ造られました。ドンスワン市場からホアンキエム湖までのメインストリートの一部です。飴、砂糖菓子、果物の砂糖漬けが売られています。また、アプリコット、プラム、タマリンド、スターフルーツ、マンゴー、ジャックフルーツ、りんご、もも、みかんなど多種多様なジャムやドライフルーツもあります。このドライフルーツは「オーマイ」と呼ばれていますが、必ずしも甘いものだけでなく、しょっぱいのも酸っぱいのも苦いのもあります。全国で作られていますが、ハノイのオーマイは特産品として有名です。

 

16)チャン・ニャット・ズワット通り  Phố Trần Nhật Duật 

この通りはソンホン(紅河)沿いに800m以上もあります。フランス植民地時代には埠頭や時計台の立つバス駅がありました。通りの両側には船やバスを待つ人々の安宿が並び、様々な日用品や米を売る店も多かったのですが、1932年に埠頭は別の場所に移され、バス駅も北側のロンビエン橋の向こう側に移動しました。今日では自動車やバイクの修理工場があります。チュオンズオン橋につながっているため、いつも交通がひっきりなしです。チャン・ニャット・ズワットは、チャン・ニャン・トン王(12791293)の時代の偉大な将軍です。将軍は政治、軍事に秀でており、外国語が巧みで、ベトナムだけでなく、外国の風俗・習慣も熟知していました。1285年、蒙古がベトナムを侵略しようとした時、ソンホン(紅河)で5万人の敵軍を打ち破りました。