友達

 

 

仮住まいしている学生寮門前町のどこか一角に物乞いの少女が住んでいます。多分、家族でいるのだと思いますが、いつもその子一人なので親がどの人なのか分かりません。日本で言うと小学校3年生ぐらい、ぺたぺたのサンダルこそ履いているものの黄色から土色に変わりつつあるティーシャツ、ほこりをかぶったざんばら髪、何か月もシャワーを浴びていなさそうな顔や体。厳しい生活のためか、すねたような、口を歪ませて人を見る暗い眇の女の子です。

その子が大衆食堂で「Com binh dan平民飯=いわゆる猫飯」を食べている客の脇に来ては金をせびるのです。ここでは日本のように道端に座り、サクラの小銭を入れた缶カラを置いて黙ってうつむいている、そして老いぼれ犬が脇に控えている(今の日本じゃあこんなの、はやらないか?!)ようなおとなしい姿勢ではありません。テーブルに着いて箸を上げ下げしている我々の肩を突っついてせびるのです。それも1回や2回の拒否でたじろぐようなヤワではない。垢まみれの黒い手をぬーっと伸ばされてごらんなさい。げんなりして飯など食っておられますか?正直言って、かわいそうと思うより嫌悪感が先に立ってしまいます。そう思うのは私やほかの客ばかりではありません。まるで食べ物にたかるハエを追い払うかのように「Di ra ngoai! あっち行け!」とばかり店員に怒鳴られています。しかし、そこがまたハエの性分、すぐ舞い戻ってくるのです。

足首をケガしました。5月の初めごろ家探しにほかの町へ行った帰り道、突然停電に見舞われ、一帯が真っ暗。慣れない上にガタガタ道路のためうっかり路肩で足を踏み外し、あっ!と転んだ拍子に左足のくるぶし近くにヒビが入ってしまったのです。その日のうちに病院でギブスをし、3週間後に外してもらいましたが、歩けるようになるまで当分リハビリに通わなくてはなりませんでした。 

 

ある日のこと、寮の前から病院に向かうタクシーに乗り込もうとしていますと、たまたま近くにいたあの子が寄ってきました。片松葉杖でけんけんしながらドアに近づき、そろそろと足を引きづり上げるようにして乗り込みますと、そうーっとドアをさわるような閉めるような…。その子はいつにない心配そうな顔で車内をのぞき込んでいました。だれからも毛嫌いされている、そしておそらく普段は自分でも防御に精一杯のその子がいたわしげに私の足を見ているのです。私は動き出したタクシーの中で少女の気持を本当にありがたいと思いました。

しばらくしてまた門の前でばったり少女に出会いました。私は腰をかがめ、目線をその子と同じにして言いました。「この間、タクシーに乗るとき助けてくれたよね。親切にしてくれて、ありがとう。」そして小さなお金を握らせると、その子は一言「Sank (thank) you」と小声で返事をくれました。

 

そんなことがあって以来、彼女は私の顔を見るたび手を振って「Bac!おじさん!」と寄ってきます。相変わらず薄汚れた手で私の腕を引いたり着ているものにさわってくるのですが、前のように気持悪いと感じなくなりました。どういうわけか、その子ももはや金をせびろうとしません。私はまだその子の名前も知りません。でも多分、友達になったのだと思います。 

 

高層ビル、地下街、ファッション…。目に見えるハノイは一変してしまいました。物乞いはもはや姿を消したようです。