大見え
今は昔、かつてのバス風景です。金額などは変わったでしょう。
中国雲南省からトンキン湾までおよそ1,200キロを流れる大河ソンホン(Sông Hồng 紅河)。その両岸にハノイの市街は広がっています。千年の歴史を持つハノイはその発展と共に自然に道路が形成されてきたものと見え、官庁や大きな公園などのある中心部を除いてはむしろ曲がりくねった路地が多いようです。以前のハドン(Hà Đông 河東)省の一部もハノイ市域に組み込まれ、ずいぶん大きくなってしまいましたが、人口800万人近くの大都会にしては主要部分はさほど広くもなく、車で1時間も走れば一巡できてしまうほどです。こうした中で市民の足はバイクであり自転車でありますが、その流れを川にたとえればバスはある時は流れを速め、またある時は緩める渦のようだと言えましょう。私たちにとって通勤、買い物、外食などにバスは欠かせません。若い学生たちはもっぱらバイクを使っていますが、ここの交通事情を考えると私たちにはおっかなくてとてもとても…。
バスは合わせて長短50路線もあるでしょうか。市内をくまなく走っているので長く歩かずにたいていのところへ行けます。料金は1乗車につき7,000ドン(約35円)から9,000ドン(約45円)。新しい乗客が乗り込むとすっと寄ってくる車掌から切符を買うことになります。定期なら1か月200,000ドン(約1,000円)で乗り放題です。こちらは日本の路線バスをちょっと小型にした3、40人乗り程度のもので、遠くからもよく目立つ赤と黄のストライプ模様。最近気がついたのですが、紅河の流れを模様化したものらしい。もともとフランスや韓国で走っていたバスを買ってきた中古が多いですが、冷房付きで自動ドアの気持のよいバスです。ラッシュ時でも乗客が押し合うほどではありません。ただし、音楽テープだかラジオ放送だか、ポップスあり、流行歌あり、ニュースあり。耳にやかましい音量で走るのは乗客サービスというより運転手や車掌の趣味ではないか?
日本では電車でもバスでも席を譲られたことはまずなく、たま~に譲られると年寄りに見られるようになったかと一種情けないような申し訳ないような気持にもなりますが、 こちらでは吊り革につかまっているとむしろ譲られるのが普通。車内には「前乗り後ろ降り」とか「正しい切符、正しい乗車」とかの乗車規則のほか「お年寄りや体の弱い人に席を譲りましょう」などの標語が掲げられています。しかし、皆さんの行動は半ば強制力を伴ったルールによるものではなく、「長幼の序」が社会の共通意識として色濃く残っているからではないかと思えます。あとから乗ってきた年配者を見れば、若者はすっと立ち上がります。譲られた方も「ありがとう」でもなければ「すみません」でもない。空いている席に座るがごとく、当然の顔をしている。中に気がつかない者がいると車掌が来て「そこの若いの、立ちな!」とでもいうような合図を送ります。が、私には正直、ちょっとおせっかいで戸惑うこともあります。
おせっかい ①:私は大学での授業を除いては家でパソコンに向かっていることが多いので、バスの中では立っていたいのです。その方がむしろ座り続けによる腰の重痛さが解消されて快適です。ですから譲ってくれた人にどう断るか?立ち続けていようものなら、離れた場所からでもわざわざ寄ってきてこちらの肘を引っ張ります。好意を無視するのも気が引けますし、「立っていたいのです」と言うのも大人げない。まあ、どう辞退するかは教え子の若い学生に聞いた方がいい。すると彼らも頭を一ひねりして「もうすぐ降りますから」がいいんじゃないですかと。なるほど、そう言うことしたところ、相手もうなずいてくれるようになりました。
おせっかい②:乗車早々決まって「おっ、外国人!」との視線が感じられます。地図でも広げていると覗きこむようにして、どこへ行くのかと聞いてきますし、中にはひったくるようにして今はどこそこを走っているとかいちいち説明してくれます。そんなことはこちらもとっくに分かっているのです。ひとことベトナム語で相槌を打とうものなら注目の的で、たちまち「おもちゃ」にされてしまいます。
おせっかい③:一度、逆方向のバスに乗ってしまったことがありました。車掌にどこそこへ行きたいと告げると、彼はこちらのベトナム語が不十分と見るや、何か大変な間違いを犯したかのように「反対だ、反対だ!」と全身を使って教えてくれるのです。それはあたかも舞台で歌舞伎役者が太刀を振りかざし、大見得を切る時のように股を広げ、両手を上げたり下ろしたりして「あそこに見えるあのバス停で降りろ!」そして大きくこぶしを振り向けながら「道の反対側に行くのだ!車に気をつけるんだぞ!」と叫んでくれたのです。もう、車内は爆笑です。そんな時は「Xin cám ơn các bạn và các đồng chí thân mến!(親愛なる友人、同志の皆さん、ありがとう!)」と精一杯の笑顔と大声でバスを降りていくのです。