狭い世界

 

私自身もその一人ですが、日本政府公認の高齢者にとって「ベトナム戦争」はその青春の一時期にある種、苦い思いと共に胸に刻まれた言葉です。ベトナム学者として知られている方々には、例えば東京大学の古田元夫、早稲田大学の白石昌也、坪井善明などの諸先生がいらっしゃいますが、なぜベトナム?との問いに対して、やはり若い頃の「ベトナム戦争の矛盾」をその理由に挙げています。 

 

因みに私の場合はベトナム戦争の矛盾とはちょっと違うんです。高校3年のある時、NHKの海外ドキュメンタリー「胎動するアジア」を見て、将来の志望先がぐるっと東南アジアに回転させられました。元々語学が好きだったものですから東京外国語大学のインドネシア科を受けたんですが、サクラ散る。翌年タイ科に合格。で、入学後初めて「今年からタイと同時にベトナム専攻もできた。どちらかを選択するように」とのことで新し物好きの性格からベトナムに行ったような次第です。

今、ベトナム社会は見た目、猛烈な勢いで変化しています。高速道路、高層マンション、大規模スーパー、大量家電店、キラキラファッション… いとまがありません。しかし、一見華々しい変化の後ろには未だにベトナム戦争の影がへびりついているのも事実です。

 

先日、つてがあって「平和村」へ行ってきました。この村については以前から聞いており、どこかハノイ近郊にでもあると思っていたのですが、知ってびっくり、我が家と大学の中間、何と歩いて10分もかからない近所にあったのです。正式名称は「タインスワン平和村・機能回復センター」。村と言ってもそれは名前だけで、日本で言えばちょっと大きめの幼稚園ぐらいの敷地か。そこの診療・薬事部長Vu Son Ha博士に中を案内してもらいました。現在、乳幼児から20歳ぐらいまでの230人ほどが治療を受けながら学び、かつ生活しています。聞くと、ベトナム戦争時に祖父の代が被った枯葉剤の影響が孫やその子にまで及んでいるそうです。多くは精神障害も患っていて食事やトイレの自立が課題になっている子供たちもいます。幸い、日本、韓国、ヨーロッパのボランティア団体による物心両面の支援があるそうで、施設・設備は十分とは言えませんが、他の病院のように一つのベッドに二人が寝かされたり、床にゴザを敷いたりといったことはなく、たいへん清潔な印象を受けました。しかし、恐らく、いや殆ど確実に、ここにいる230人の裏には何十倍もの収容されていない人たちがいるはずです。Ha博士もこのようなセンターがあるのはハノイにここ1か所、ホーチミン市に1か所、フエに1か所だけと語っていました。

このような例を見るたびに思い出されることがあります。それはもう10年近くも前に行われた日本語スピーチコンテストです。貿易大学3年生のDuong Thu Hienさんが発表した「狭い世界」というスピーチに強い感銘を受けました。彼女は「爆撃など戦争の直接被害者や枯葉剤による障害者にとって世界は自分の家の中だけ。日本では点字、スロープ、交差点の音楽、盲導犬施設やサービスがたくさんあるのに比べ、ベトナムでは障害者は外に出ることができない。何と狭い世界なのだろうか」と訴えていました。

 

上に書いたとおり、ベトナム社会は見た目、急速な発展を遂げています。ただし、目を上にあげればの話。目を下に向ければ縁欠けのでこぼこ歩道、歩道と車道の高い段差だから、車いすで歩道から下りて道を渡り、向こうの歩道に上がることができない。いや、それ以前にバイクが自由奔放(無秩序)に置かれ、いかにも歩きづらい歩道、何でもいつでもポイ捨て可で、ゴミだらけの歩道、歩行者無視、交通ルールなしの強い者勝ち。お金をかけずとも改善の余地はいくらでもある! 先の「大見え」でご紹介した長幼の序がバスの外にも普遍し、「弱い者勝ち」に変わり、障害者の世界が広がるように願うばかりです。

 

以下にHienさんの許可を得て、スピーチを転載しますので、どうかお読みください。

 

狭い世界

Duong Thu Hien

 

私はバスで大学へ通っています。バスは多くの人に利用されています。子供でも老人でもだれでも利用できるものだと思っていました。しかし、あの日に見た一つのことで、私の考えは変わってしまいました。それは去年の冬の、冷たい雨の日のことです。バスが停留所に止まった時、土砂降りの中、松葉杖の男性が見えました。彼は一歩一歩バスに歩み寄りました。そして正に乗ろうとした時にドアが閉まってしまったのです。それを見て、バスは皆の乗り物ではないと初めて気がつきました。「日本では障害者をよく見ますが、ベトナムでは滅多に見ませんね。」と日本人の先生がおっしゃったのを思い出しました。ベトナムでは障害者が日本よりずっと少ないというのでしょうか。ベトナム人は元気な人ばかりだというのでしょうか。

 

ベトナムでは二つの戦争を経て、多くの人が戦場に体の一部を残し、一生の障害を負っています。枯葉剤の被害者は子供や孫の世代まで影響を受けています。しかし、彼らは滅多に街に出ません。周囲をちょっと見回せば、この不思議な現象がすぐ分かります。スーパーマーケットや映画館など、一体どこに障害者のためのスロープがありますか。大きなビルの一体どこに障害者のためのトイレがありますか。ベトナムは障害者にとって何と住みにくい社会なのか、つくづく感じました 

 

それに対して、日本の障害者はすごく大切にされているようです。点字、スロープ、交差点の音楽、盲導犬。施設やサービスがたくさんあります。最近、トヨタは障害者が乗れる自動車の展覧会を開きました。買い物を手伝うロボットまで作られました。それを知って、本当にびっくりしました。ベトナムの障害者にとって、やはり日本は天国のようです。多分いつかベトナムにも日本と同じ施設ができるでしょう。しかし、その「いつか」は一体いつなのでしょうか。いつになったらベトナムの障害者は外に出られるようになるのでしょうか。

 

現状の一番大きな理由は何でしょう。皆さんはお分かりですね。交通機関の改善だけでも、たいへんなお金が必要です。近い将来では、日本のような社会はまだ贅沢な夢に過ぎません。障害者は体の痛みを抱えながら、更に見えざる差別にも耐えなくてはならないのです。ベトナムの障害者にとって、世界は狭い家の中だけです。 

 

では、その狭い世界を広くするために、私達は何をしなければならないでしょうか。もし私のクラスメートに障害を持った人がいたら、励ましの一言、あるいは微笑みだけでも元気付けてあげることができると思います。社会の設備が劣っているなら、私達はせめて優しくなければなりません。それは誰にでもできることです。そうすれば、彼らは劣等感の変わりにうれしい希望を持てるでしょう。私達は協力して、彼らを助けなければなりません。そして、できるだけ早いある日、普通の人ばかりでなく、車椅子の人も乗っている、そんなバスを見たいです。