1. 湖と亀の伝説

 

レロイの物語

伝説によると、ホアンキエム(還剣)湖はレロイが魔法の剣を黄金の亀に返還したところと言われています。

レロイはベトナムで最も偉大な英雄の一人です。タインホア(清化)省ラムソン(藍山)の貴族の出身で、1385年、3人兄弟の末っ子として生まれ、後にその地の領主となりました。1407年以後、ベトナムは中国・明の支配下に置かれ、人々は塗炭の苦しみを味わわなければなりませんでした。レロイは村々が明軍に破壊されるのを見て、必ず国を開放するとの誓いを立てました。1418年のテト(旧正月)が明けた日、レロイは職を辞し、生家近くの丘へと移動しました。そしてここから、侵略者に抗して立ち上がるよう人々に呼びかけたのです。初期段階ではレロイ軍はわずか500人ほどでしたが、ゲリラ戦によって明軍を奇襲し、士気をくじきました。

1425年までに反乱はベトナム全土に拡大し、占領軍を壊滅させてしまいました。明の新しい国王は戦争を終わらせたかったのですが、側近の者たちは明の意に従わない地方に10万人もの兵士を送りました。明側はこれで十分だと考えていましたが、レロイは35万人もの圧倒的な兵力と共に馬や象まで駆り出しました。レロイの軍事顧問であったグエンチャイ()は精神力の重要性を説いて、心理戦を展開しました。彼は「王城より人心を征服すべきだ」と言っています。1426年の最後の戦いで明の将軍リューシャン(劉山)は捕えられ処刑されました。その後、ハノイへおびき寄せられた明軍は完全に包囲され、ベトナム軍の前に敗れ去ったのです。明軍は7万人以上を失ったと言われています

レ・タイ・ト(黎太祖)王となる 

10年に及ぶ戦いが終わった1427年、中国はベトナムの独立を認めました。その翌年レロイはレ朝の創始者、レ・タイ・トとして王位につきました。王は敗れた明軍に寛大な処置を取り、500隻の舟と数千頭の象を提供し、中国へ送り返しました。レ・タイ・トは即位を宣言すると直ちに儒教体系に基づいて政府を編成し直しました。道路、橋、運河などを整備し、明との戦いに功績のあった武将、兵士に土地を与え、また農業を奨励し、新しい通貨や法律を定めました。科挙制度による官吏の登用を再開し、一定の期間を置いて試験を行うようにしました。食料の自給自足が可能となり、経済は強化されました。レ朝は1788年まで続き、この間にハノイが政治の中心となったのです。レロイは極めて公正で聡明な指導者でした。王位にあった期間は長くありませんでしたが、偉大なベトナムの基礎を築きました。どの町にもこの王に因んだレロイ通りがあります。ハノイにもレ・タイ・ト通りがあり、そこには王の立像が建てられています。

還剣の伝説

レロイについて多くの言い伝えが残されていますが、中でも魔法の剣の話がよく知られています。アーサー王と剣に因むエクスカリバー伝説と同じようにレロイも不思議な剣を持っていました。水中の龍王から授かった剣の刃には「順天(天に従う)」の文字が刻まれていました。それは後にレロイ軍に加わった一人の漁師の網にかかったもので、柄はレロイ自身が菩提樹の中から見つけました。この剣を使うと、レロイの背丈はぐんぐん伸びて百人力を発揮することができたということです。 

 

明がベトナムの独立を認めてから間もないある日のこと、レロイが緑水湖を舟で進んでいました。すると突然大きな亀が浮かんできて、レロイの帯から剣を取り上げたかと思うと、金色に光る剣をくわえたまま湖底深くに潜って行ってしまいました。剣と亀を必死に探しましたが、どうしても見つけることができません。レロイは剣は黄金の亀と共に龍王のもとに戻って行ったのだとようやく理解し、湖を「還剣湖」と名付けました。

亀の塔

ホアンキエム湖に小さな塔が立っている小島があります。これは亀の塔と呼ばれ、レロイの剣を今も守っている不思議な亀を祀っています。

1886年、フランスに仕えていたあるベトナム人の役人が島に塔を建てさせてもらおうと、政府に許可を求めました。ところがその真意は風水信仰に従って、父親の遺骸を島に埋葬しようということだったのです。人々は彼の企みを見破り、その遺骸を取り去ってしまいました。かつて亀の塔のてっぺんには自由の女神に似せて作った像が置かれていました。しかし、その像は1945年、チャン・チョン・キム(陳仲金)政府がフランスからハノイ市を奪還する際に破壊されてしまいました。 今、この塔はゴシック風の外郭しかなく、少しもベトナム様式ではありません。しかも、祖国の裏切者によって建てられたものですが、ハノイ人にとって平和と愛国心の重要なシンボルとなっています。フランス支配に対する抵抗の時代にはしばしば革命旗が掲げられました。今や塔の周りには緑の草が生い茂り、亀が甲羅干しをしたり、産卵するのに最適な場所となっています。