8. バ・ダ(石婦人)寺 

 

洒落たレストランやショップなどが建ち並ぶ通りの裏に当たるニャートー通り3番地に広々とした空間と独特な建築デザインのバ・ダ寺が今も残っています。石板の記述によると、リ・タイン・トン(李聖宗)王治世下の1056年に祠が創建されたとあります。一方、レ・タイン・トン(黎聖宗)王(1460年~1497年)の時代に城壁を築こうとしたところ、女性の形をした石が出てきたということです。これは地母神から贈られた聖なるお告げに違いないと考えた人々が記念に祠を建てたという言い伝えもあります。人々はそこでこの祠をバ・ダ祠、つまり石婦人の祠と名付けたそうです。その後何回かの改装や修復の時に一度ならずその石を失いましたが、その都度新しい石が見つかったそうです。

1900年代初め、石はとうとうなくなってしまい、祠は火災に遇いました。その後の再建時に石の代わりに仏像を安置することにしました。これによって祠は仏寺となり、新たにリン・クワン・トゥ(霊光寺)と呼ばれるようになりました。もっとも、旧名を取ってバ・ダ寺の名も今なお使われています。入口のアーチをくぐり、細い道を進むと中庭に出ます。寺を守る年老いた僧が経本を売っています。僧は線香に火をつけ、祈りをささげた後、招き入れてくれました。中庭には仏塔があり、昔の僧の名前が記されています。大広間には六つの仏像がありますが、一番後ろの大仏は天井にまで届きそうです。初期の装飾品は多くが火災で焼失してしまいました。しかし、1873年と1881年に鋳造された青銅の鐘と1842年の三日月形の銅鑼が残っています。一番古い鐘は入口左手にあります。右手の鐘は近年のものです。

ベトナムの他の寺社と同じく、バ・ダ寺も地元の人々が先祖の額や写真を飾る特別な場所となっています。ベトナム人はこうした飾りによって先祖の霊や仏の慈悲が身を守ってくれると信じています。扁額は入口から本殿にかけての天井近くにいくつも掛けられていますが、中ほどの「師人天」は最大で一番高い位置にあります。中へ進むと左右に祭壇があります。左は聖人ドゥック・タイン・ヒエン(徳聖賢)で右は実在のドゥック・チュア・オン(徳主翁)です。また、左右それぞれ五つずつ閻魔大王が立っています。中央祭壇の奥には銅の深い色味を帯びた大仏が坐し、寺全体へ静けさと平和のオーラを放つように周囲を見下ろしています。ここは禅宗の教えを説く寺ですが、地方仏教会の本部ともなっています。仏僧や尼僧が付属の僧坊で生活しています。僧はフランスに対する革命理念を支持しました。ホー・チ・ミン主席は1945年と46年にここを訪問しましたが、46年の訪問時には「仏教徒の働きは世情から遊離したものではない。」と述べました。裏手の建物にはこれまでの寺の指導者たちの像や写真などを収めた祭壇が置かれ、銅鑼と二番目に古い鐘が掛けられています。

外壁のパネルに次のような詩がうたわれています。

霊光寺はタンロンにあり    仏道は無常にして隠現自在  

古の礎は報天寺を印す       壮麗な寺近く還剣湖は輝く