5. バ・キエウ(婦人)祠

 

バ・キエウ祠はゴクサン祠の前の道を渡った反対側にあります。この祠が創建されたころ、境内はずっと大きいものでした。元の門の一部は残っていますが、今は観光客に土産物を売る店になってしまいました。フランス植民地時代の1885年、正門と祠は切り離されてしまいました。創建者は17世紀後期から18世紀初期にかけてのレ(黎)朝に仕えた筆頭官吏の妻、チュアチン(主鄭)です。1960年代から70年代にかけてのアメリカとの戦争中、祠の大半は敵からの被害状況や捕虜、武器の残骸などを示す写真の展示場として使われていました。戦後はベトナム人画家の絵画ギャラリーとしても使われましたが、2007年に閉鎖されました。

祭壇は後ろ側の木製扉で仕切られた向こうに設けられています。元々は神聖な場所として一般人は立ち入ることができませんでしたが、今では入口喫茶店の人に断って入ることができます。中央祭壇には赤い衣をまとったリエウハイン(柳杏)聖母を収めたガラスケースがあります。リエウハインは多産と豊饒の女神であるため、妊娠を望む多くの女性がここを訪れます。同時に、民間信仰、仏教、女性崇拝、愛国主義が入り混じって信仰されています。また、両脇には海、森の女神が控えています。中央祭壇の左に一つ、右に二つの祭壇があり、生と死を記録する書記を従えた天の神など、ベトナムの神様を祀っています。左奥の壁には5代にわたってバ・キエウ祠を守ってきた一家の祭壇があります。

祠の外には菩提樹が茂り、帰る家のない霊を守っています。その中に祖国のためにフランスと戦った人々を記念する像が置かれ、前面には「祖国が必ず生きるために決死で臨む」と記されています。以前、ここにはキリスト教宣教師として1627年にベトナムへ赴き、ベトナム語のラテン文字表記を考案したアレクサンドル・ドゥ・ロードの像がありました。クォック・グ(国語)と呼ばれるこの文字は1945年、ベトナム民主共和国の独立によりベトナム語の正式な表記方法となりました。