4. ゴクサン(玉山)祠
ゴクサン祠はハノイで最も趣のある祠の一つです。この祠はホアンキエム湖に浮かぶ小島に建っていますが、16世紀から18世紀にかけては高級官吏チン(鄭)氏が舟遊びの時に使う別荘がありました。19世紀に仏寺が建てられ、後に武神として中国の関帝を、更には文神、医神を祀るところとなりました。現在、他にも13世紀の英雄、チャン・フン・ダオ(陳興道)そして1864年以降、祠と周辺の増改築を行った儒学者、グエン・ヴァン・スィエウ(阮文超)が祀られています。建物はグエン(阮)朝が好んだ中国様式を反映しています。
入口付近の建物と橋
ゴクサン祠へはいくつかの門を通り、テーフック(旭棲)橋を渡って入ります。入口付近の門はグエン・ヴァン・スィエウが設計したものですが、道教のシンボルに溢れています。最初の門には対句が掲げられています。二つの大きな漢字は右が「福」で左が「禄」です。ベトナム人は「福禄寿」を人生の重要な要素と考えています。この門のすぐ内側には筆をかたどった高さ10メートルの「筆塔」が半円の岩山に立っています。山はしっかりした基礎、即ち大地を表し、塔には「寫青天」と書かれています。筆塔は文学や詩歌を祀るゴクサン祠への導入部となっています。山の中ほどには小さな祭壇があって、入る許しを祈ることができます。
二番目の門も道教のシンボルに囲まれています。まず、右に龍、左に虎があります。その二つは幸運や繁栄を表します。門の裏側の右の石板には鯉が水に映る月を見つめています。また、左には長寿を表す鶴が描かれています。三番目の門の上には「硯䑓」と書かれています。グエン・ヴァン・スィエウは陰暦五月五日に筆塔の影が硯台の上に落ちるようにしました。なぜ五月五日でしょうか。道教の星占いでは120の星があり、文学に関連するヴァンスゥオン(文昌)星が五月五日に太陽の軌道を横切るからです。グエン・ヴァン・スィエウの言葉が門中央の巻物に引用されています。巻物のまわりには幸福の象徴であるコウモリが飛んでいます。中国語のコウモリはベトナム語の発音では「福」です。
ゴクサン祠は朱塗りのテーフック橋を渡った向こうです。元々、湖がもっと大きかったころは舟で渡っていきました。18世紀には簡単な竹の橋が架けられました。グエン・ヴァン・スィエウは三日月型の木造アーチ橋を作りました。最初の橋は1958年に火災で焼失してしまいましたが、同じ形で再建されました。ここから朝日を見ることができます。橋を渡ると次が四番目の門です。この門は得月樓と呼ばれ、上に丸い窓が空いています。周りは典型的な道教のシンボルに囲まれています。右は八卦を背負った麒麟です。八卦、風水、陰陽などすべてを統一する道教の知恵は古代中国の皇帝が見た夢の中で亀が伝えたということです。その亀は左側にあって、書物と剣を載せています。亀は道教のシンボルであると同時に、文武両道という儒教の教えをも表しています。ゴクサン祠は調和を表す風水の具体例です。周囲は祠に向かって力強いエネルギーを引き寄せる水面となっています。ここには13世紀に蒙古軍を打ち破ったチャン・フン・ダオ将軍と文学の神様であるヴァンスゥオン(文昌)が祀られています。
チャン・フン・ダオ(陳興道)
チャン・フン・ダオはベトナムの最も輝かしい将軍の一人です。モンゴル族は中国北方の中央アジアからシベリアにかけての民族ですが、この遊牧民は13世紀初頭、チンギスハンによって統一され、アジアからヨーロッパにまたがる大帝国を築きました。彼らは1252年から1288年までの間に3回にわたりベトナムを侵略しましたが、いずれもチャン・フン・ダオの指揮の下に撃退されました。
1288年のバクダンでの戦いでベトナム軍は40,000人のモンゴル兵と共に400隻もの舟を沈めました。チャン・フン・ダオ将軍は先端に鉄のキャップをかぶせた巨大な木杭をバクダン川の底に打ったうえ、満潮時に侵略軍をおびき寄せました。そして、干潮を待ってあらゆる方向から襲いかかったのです。慌てた敵は海に逃げようとしましたが、杭に串刺しになり、敗れ去りました。それから7世紀を経た現在もチャン・フン・ダオ将軍は超自然的な力によって悪霊や疫病を追い払う神として人々の心に生き続け、祠や家の中で礼拝されています。1953年、川底に埋まったままの木杭が堤防工事の最中に発見されました。
チャン・バ・ディン(鎮波亭)
得月樓を過ぎ、左に曲がると、更に左手に炉があって、敬虔な信者たちが先祖への供え物を燃やしています。一番多いのはお供えとして使う「偽札」ですが、中には扇風機だとか自転車だとか、実際に使うものまで燃やしている人がいます。先祖への伝言は紙に書いて燃やせば、煙と共に天に届きます。ここは文神のヴァンスゥオン(文昌)を祀るところですから、文学に対して特別な意味があり、詩を燃やすのに使われます。文学や詩に対する敬意は非常に強いですから、これを投げ捨ててはいけません。必ずここへ持ってきて、恭しく始末をしなければならないのです。炉の前をさらに進むと小さな広場に出ます。そこでは将棋に興じるお年寄りの姿が見られるでしょう。
左手の水辺に佇んでいるあずまやがチャン・バ・ディンです。これは外国の影響という「波」に対するシンボルとして19世紀に建立されました。テーフック橋ができる前はここが正面でした。舟はここに着きます。ベトナム建築では風と水の組み合わせが非常に重要ですから、正面が水辺を向いていることは縁起が良いとされたのです。
英雄・聖人の寺
右手が本殿で、朱塗りの扉の前に大きな香炉があります。本殿は三つの部屋に分かれていて、その一番目が礼拝の準備をする拝堂です。寺社によく見られるとおり敷居が高いのは内なる聖域と外の世俗とを仕切るだけでなく、この障害物をまたぐ都度、頭を下げて敬意を表すためです。正面が祭壇です。両脇に控える神話上のオウムはある女性についての言い伝えに関連しています。彼女は自分が悪を犯したことを認め、改めなければならないと考えていました。オウムは常に女性のそばにいて、真実を話すように女性の言葉をすべて繰り返したのです。自学と真実は儒教の大切な教えとして強調されています。
二番目の部屋が本堂で、三つの像が前後に並んでいます。一番奥が伝説上の学者・聖人として文学や試験を司るヴァンスゥオンです。学校が始まる日や試験の前には多くの学生たちがここを訪れては祈りを捧げます。ヴァンスゥオンの前は不老不死の妙薬を求めた東洋医学の祖であり、道教の神様のうちの一柱、ラト(呂祖)の像です。一番前は勇気と竹を割ったような性格で知られる3世紀中国の武将、関帝です。ヴァンスゥオンやラトと異なり、関帝は歴史上実在の人物で、法律を象徴しています。そのため、契約に調印した後は、当事者が関帝の前で「成約を確認」します。それによって法律的な拘束力を持つことになるのです。亀に乗った鶴は長寿と忍耐力を表します。赤い馬と槍は共に関帝のものです。両側の儀式的な武器は無知に対する知識の勝利と災厄との戦いを意味します。
三番目の部屋、後堂にはチャン・フン・ダオの祭壇があります。赤い衣装をまとったチャン・フン・ダオは中央に位置し、両脇に補佐を従えています。また、左側の祭壇にはチャン・フン・ダオの業績が記されています。
巨大な亀
本堂の隣に亀の剥製を保存している部屋があります。長さ2.1メートル、幅1.2メートル、重さが250キロもある巨大な亀です。1968年に捕獲されたもので、500歳を超えると言われ、この亀こそ15世紀にレロイの魔法の剣を龍王に持ち帰った亀に違いないとされています。湖には今でも何匹もの大きな亀が棲んでいます。湖岸にはいつでも巨大な亀を見ようという人々がいます。湖面に頭をもたげた亀を一瞬でも見ることができれば幸運に巡り合えると信じているからです。勿論、小さな亀もいます。これも亀を放して幸運に預かろうとしているのです。